バーンスタイン 「キャンディード」
2026 OCT 10 2:02:55 am by 東 賢太郎
食事できませんかというメールを頂いた。 2、3年前にお会いしたきりになっていたT君だ。 40代半ば、活動の本拠はニューヨーク、 社員は全員アメリカ人という気鋭の経営者である。いいよということで六本木に赴いた。そんなつもりはなかったが、前回は冷たい金融マンのイメージがあったらしく、このたびは酒も入って野球だの音楽だの東大の内輪話だので大いに盛り上がり、「全然そんな人じゃなかったんですね」とあいなった。
話が合ったのはバーンスタインだ。会って話したよと言っても信じてもらえないぐらい昔のことだ、いきさつをざっとご説明しこれをお送りすることにした。クラシック徒然草-カッコよかったレナード・バーンスタイン-。T君、話したのはこの演奏会終了後の打ち上げパーティーでのことだ。
調べてみて驚いた。この時の僕は34歳で、ずいぶんお爺ちゃんだなと思ったバーンスタインは71歳だ。なんと僕は今そのトシじゃないか!なんと何もやっていないことだろう。
キャンディードはウエスト・サイド・ストーリー作曲中の1956年、バーンスタイン38歳の作だ。同じ頃にニューヨーク・フィルハーモニーの音楽監督に就任もしている。ものすごいアウトプットだ。父はウクライナのユダヤ系移民で、渡米して魚市場で、母は毛織物工場で働いた。才能はどこから芽吹くかわからない。
キャンディードはライプニッツの最善世界説(人生はいろいろ不幸なことがあっても神の差配でそれなりにうまいところに収まると言う楽観主義) をおちょくった寓話だ。作者ヴォルテールは1694年にフランスのブルジョア家庭で生れ、親の意に反して詩人になる。政府を批判してバスティーユ牢獄にぶちこまれ、出獄すると劇作家として名をあげ、今度は英国に渡り哲学に没頭する。当然の帰結として危険なイギリスかぶれ野郎だとパリでさらに2度逮捕状が出された。ところが学があったので貴族でリケジョの祖である数学者シャトレ侯爵夫人の愛人になって難局を逃れる。そればかりか夫人に数学・物理を習いフランス学士院会員となり百科全書派の一員となり、革命後は啓蒙時代を代表する思想家の一人となった。彼は否定するに違いないが、ラッキーと言わずしてなんだという彼の波乱万丈の人生はライプニッツを認めたことになるのではないだろうか。モーツァルトはヴォルテールが亡くなったときパリにいた。「あの無神論者でペテン師のヴォルテールが犬のようにくたばりました」と父への手紙で口汚くののしったのはカトリック信者なのだから理解できる。しかし彼は間違っていた。ヴォルテールは無神論を否定し、科学の発展によって神の存在はより否定しがたいものになると考えていたからだ。この立ち位置はアインシュタインも同じである。
しかし神の摂理を認めるか否かはどうあれ、徹底した反ローマ・カトリックで権力と闘ってよくぞ危険な革命前夜を生き延びたものだ。結果論として見るなら英国でジョン・ロック、フランシス・ベーコンの経験論的哲学に没頭し、ニュートン主義の普及者となったことが大きいからそこは努力の賜物で神の差配でないかもしれない。さもなくば数学者女史のヒモになれなかったかもしれないし、啓蒙主義の時流にさえ乗れなかったかもしれないからだ。ちなみに、現代のフランスのバカロレア(高校卒業資格)で哲学は必修、数学はほぼ必修という日本では考えられない制度にこの2科目重視の姿勢が伺える。ちなみに必須でないのは法学、政治学、文学、語学、哲学、芸術である(東大だと文科1類である法学、政治学は数学いらない。発見だ)。私見では哲学・数学の2つこそが今後の不透明な世の中を生き抜く知恵の軸であり、どちらもやらずに卒業できる学校を僕は大学と呼ぶ気はない。
ヴォルテール自身のそれまでの人生をカリカチュア化したドタバタ劇ともいえる哲学寓話キャンディードは思想史の観点から読むと興味深い。上掲のキャンディードのビデオで聞くバーンスタインのスピーチでは(世評でも)、彼はれっきとした共産主義者であり、ならば神はどうなったと問いたくなるクラシック徒然草-ホモと共産主義-。いなくてもよかったかもしれない神よりも彼はウエストサイドストーリーとキャンディードを大切な2人の子供と思っており、一方だけ人気が出た事態を悲しんでおり、それがこの演奏会になったのだろう。おそらくもう最後と悟って。
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